柏原八幡宮について
御祭神・御神徳・由緒
●御祭神
・誉田別命(応神天皇)
・息長足姫命(神功皇后)
・比賣三柱命(多紀理比賣命・多紀都比賣命・市杵島比賣命)
●御神徳
厄除開運・家内安全・勝負必勝
病気平癒・健康長寿・交通安全等
・誉田別命(応神天皇)
・息長足姫命(神功皇后)
・比賣三柱命(多紀理比賣命・多紀都比賣命・市杵島比賣命)
●御神徳
厄除開運・家内安全・勝負必勝
病気平癒・健康長寿・交通安全等
社伝によると、舒明天皇の御代(629~641)に出雲連が入船山(当宮の鎮座する山)に素戔鳴尊(すさのおのみこと)を奉祀したのが当宮の創始と伝えられています。
その後、萬寿元年(1024)に入船山周辺の3箇所から霊泉の湧出を奇瑞とし、後一条天皇の勅意により国家鎮護の社として京都の石清水八幡宮より御分霊を勧請し、丹波国「柏原別宮」として創建されました。
境内には兵庫県指定重要文化財に指定されている三重塔と釣鐘が現存し、神仏習合当時の景観を今日に伝える全国でも極めて珍しい神社です。
厄除けの神威が高く、毎年2月17日、18日に斎行する厄除大祭は「丹波柏原の厄神さん」と親しまれ全国各地より多くの参拝者で賑わい、17日深夜に執り行われる「青山祭壇の儀」は日本最古の厄除神事で、往古の道饗祭(みちあえのまつり)、疫神祭(えきじんさい)の遺風を今に伝えています。
現在の社殿は天正13年(1585)に羽柴(豊臣)秀吉によって再々建されたもので、三間社流造りの本殿に入母屋造の拝殿を連接した複合社殿です。この建築様式は「権現造」の先駆けとなる建築様式として貴重で、大正2年に特別保護建造物に指定、現在は国の重要文化財に指定されています。
柏原八幡宮の年表
舒明天皇御世(629年~641年)
| 出雲連が牛頭天皇を現在の三重塔付近に祭り、神域として成立する
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万寿元年
(1024年)
| 京都 石清水八幡宮の丹波別宮として創建
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貞和元年
(1345年)
| 南北朝の動乱により社殿焼失、その後再建される
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天正7年
(1579年)
| 織田信長の命で明智光秀丹波を攻める。その際に社殿焼失
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天正10~13年
(1582~1585年)
| 羽柴秀吉、黒井城主堀尾吉晴を普請奉行に任じ、現在の社殿が再建される
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明治元年
(1868年)
| 神仏分離令により、神宮寺である乗宝寺に仏像・経典等を移し、文化財が破却される事無く円満に神仏分離がなされる。その際境内の三重塔は「八幡文庫」として、鐘楼は「時の鐘」として破却を免れる。
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明治6年
(1873年)
| 近代社格制度が制定される中で「郷社」に列せられる
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明治33年
(1900年)
| 県社に昇格する
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大正2年
(1913年)
| 本殿が「特別保護建造物(国宝)」に指定される
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昭和25年
(1955年)
| 文化財保護法施行により本殿が「国の重要文化財」の指定を受ける
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昭和42年
(1967年)
| 三重塔屋根葺き替え、部分修理を施す
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昭和51年
(1976年)
| 文化財保護事業として本殿解体修理並びに屋根葺き替えを行う
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平成元年
(1989年)
| 三重塔が「兵庫県指定文化財」の指定を受ける
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平成3年
(1991年)
| 銅鐘及び鐘楼が「兵庫県指定文化財」の指定を受ける
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平成5年
(1993年)
| 三重塔屋根葺き替え並びに彩色全面修復を行う
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平成7年
(1995年)
| 摂社 五社稲荷神社が「丹波市指定文化財」の指定を受ける
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平成24年
(2012年)
| 丹波市指定文化財 摂社「五社稲荷神社」屋根葺き替え並びに補修工事を行う
桧皮屋根から銅板屋根に改める
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令和元年
(2019年)
| 令和の大修造を計画中
|
宮司あいさつ

悠久の歴史と伝統を未来へ
当宮は「丹波柏原の厄神さん」と古来より親しまれ多くの文化財を所有し今日に至っています。
昨今の時代の変動は目まぐるしく、情報化社会と言われる現代であらゆる最新の情報を手に取るように入手できる時代を迎えております。 当宮では平成24年にホームページを開設し、情報発信に努めておりますが、この度ホームページをリニューアルし、より良い情報発信を行う事と致しました。
柏原八幡宮の悠久の歴史や伝統は元より、さまざまな情報を発信して参りますので、どうぞご高覧のうえぜひ当宮へお参りになり神様とご縁を結ばれます事を祈念し挨拶と致します。
宮司 千種正裕
柏原八幡宮基礎データ
神社名
| 柏原八幡宮(かいばらはちまんぐう)
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通称名
| 丹波柏原の厄神さん・柏原の八幡さん
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所在地 | 〒669-3309 兵庫県丹波市柏原町柏原3625番地
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電話番号 | 0795-72-0156 |
所属包括団体
| 神社本庁
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代表者
| 宮司 千種正裕
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神職
| 禰宜 千種太陽 権禰宜 千種百栄
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